病気が教えてくれたこと

膵癌ステージ4 母さん、もう少し生きて下さい!

数ある癌の中でも「膵癌(膵臓癌)」は、発見された時点で相当進行していることが多くて、私の母(78)も発見された時点でステージ4でした。

実は父も、約20年くらい前に胃癌になっています。早期発見だったので、胃の大部分を切除することで大事には至っていません。

 

私の周囲では、癌で亡くなる方がとても多いんです。日本では1日に約1000人の方が癌で亡くなっている事実。色々な理由はありますが、そもそも病気とは体の内側からくるもの。人は魂と肉体で成り立っています。言い換えると「考え方」と「食事」です。ウイルスだって、免疫力が十分にあれば感染しないし、軽症で済みます。

 

「癌になった」という結果は、「考え方」と「食事」のどちらか一方に原因があったと言うよりも、
それらを通して神様から「お前のココが間違ってるから直しなさい」というメッセージ。私の母の場合はというと・・・

 

母の余命は月単位

私の母は血圧が高かったので、長年行きつけの内科医院に通っていました。2月も終わろうかというある日、母がポツリ言いました。

「最近、おしっこの出が悪いのよね」
「お腹が張るっていうか・・・」

 

長年行きつけの内科医院に行って見てもらうように言うと、翌日血液検査を受けたのです。それから間もなくのことでした。

「近くの総合病院に紹介状を書くので、大至急診てもらって下さい。」

という電話をもらいました。

 

そして私が付き添うことに。母がこの日2度目の検査を受けている最中に、私は担当医に呼ばれました。その瞬間に、私は覚悟しました。

「率直に言っていいのかどうか・・・」

そんな医師の言葉に私は

「覚悟は出来てます。癌なんですよね?」

「ええ。ステージ4で、処置なしです。これだけ転移してると・・・年齢も考えると、治療は本人の負担が大きすぎると思います。」

私は医師に聞きました。

「このままにしてると、母の余命はどれくらいでしょうか?」

「ハッキリ言って、月単位です。それも、そう長くは・・・」

「本人に告知して下さい。多分、ショックを受けると思いますが、隠されることを嫌うはずなので。」

 

検査終了後に、母は、膵臓癌を告知されました。その時の母は硬直してしばらく動かなかったことを鮮明に覚えています。

 

常日頃から、もし癌になっても絶対に治療はしないし、して欲しくないと言っていました。母は義母の介護で疲弊していた義姉や、実姉の(実姉の夫に対する)介護の大変さを永く見てきたので「わが子には迷惑を掛けたくない」という気持ちが大変大きいもの知っていました。

 

それでも、やはり癌の告知を実際に受けた母自身のショックは、相当なものでした。

 

私はというと即頭を切り替え「俺が奇跡を起こしてやるんだ!」と、迷わず行動しました。

 

そうは言っても、やはりその日の夜は独り、部屋で泣きました。50代前半の、いい歳をしたオッサンにもなって、あんなに泣いたことは今までありません。涙でグチャグチャになりながら、必死で調べて調べて調べて・・・

 

低体温を改善

私が何故、医師に呼ばれた時点で母が癌であると思っていたのかというと、日ごろから【癌になりやすい人の特徴】があったからです。

母の場合は『愚痴や泣き言』が普段から多いのです。他人と接しているときは屈託なく笑っていましたが、それが母の本当の姿でないことも子供のころから解っていました。

 

うまく言葉に出来ないのですが、『愚痴や泣き言』が普段から多い人って

細胞一つ一つにエネルギーがないんです。

 

そして癌になる人って例外なく低体温です。

 

癌細胞は低体温の環境が大好きなのです。

本当は考え方を改めてもらうのが一番いいのですが、今まで取り組んでもダメでした。

しかも今は、残された時間はない。

なので直接低体温を改善するために、近くの温泉に通うように勧めました。

私の母の平均体温は35℃台の前半です。しかも温泉好きだったにも関わらず。

告知されたのが3月15日。それから10日間くらいは近くの温泉によく通いました。

 

まだ気温が下がる日がおおいので「あんか+お腹にカイロ」。

暖かい日は室内で、かかと落としなどしてジワ~と汗ばむくらい運動したりした結果

平均体温が37℃くらいにまでなりました。

この時は、奇跡が起こった姿しかイメージしていなかったのですが・・・

 

3月も終わりに近づくにつれて急に「もう温泉には行きたくない」と言い出し

「自宅で2回でも3回でもお風呂に入れば?」と言っても

頑なに拒み続けるように・・・

 

しかも、この辺りから突然ほとんど食べ物(固形物)を受け付けないようになり

食べては嘔吐の連続。さらに、匂いに過剰反応するようにもなって

食べ物(固形物)をジュースに切り替えるようになりました。

 

この時から、母の腹水が目立って溜まりだしています。

お腹への圧迫感からか、時々水を飲んだだけでも嘔吐してしまいます。

母の介護用のベッド(枕元)には、いつ嘔吐してもいいように

数枚のビニール袋を用意していました。

 

食事療法を試みる

温泉に通ってもらいながら、同時に食事も改めました。

癌のエサはブドウ糖なので白米から1分米に変えたのはもちろん

好きだったうどん、パスタも当然禁止!

 

糖質を徹底的に断つ食事を提供しました。

母の大好物でもあった、じゃがいも これも当然ながら完全排除。

 

食品表示を見て、化学調味料(アミノ酸等)・発色剤(ハムやベーコンなど)・トランス脂肪酸・小麦 などを原料として使用した食材の購入は完全に止めました。

 

早い話『加工食品』からブロッコリーやアボガド、キャベツなど『細胞』を食べるというスタイルに。

昔からこんな感じの食事でしたが、より一層、加工食品を徹底的に排除。

 

油もオリーブ油のみ。例えばレンジで温めたブロッコリーをオリーブ油で炒め

醤油をほんの少量+すりおろした生姜で味付け。

キャベツやキノコ類も、こんな感じで。

始めは、いつも以上によく食べていてくれたのですが・・・

 

「オリーブ油の匂いが、どうも気持ち悪くなって・・・」

 

と言い出し始め、3月も終わりに近づくにつれて

急に(固形物を)食べたら嘔吐の繰り返し。

 

無味無臭のものしか完全に受け付けません。

常に母のそばに嘔吐のためのビニール袋を4~5枚を用意している状態。

そして、そこから水分の摂取量が急激に下がり

目に見えて母が弱っていくのが見て取れました。

 

前にも書きましたが、水を飲んだだけでも嘔吐するんです。

何も食べようとしないんです。

もうジュースにして栄養を摂らせるしかありません。

でも、水でも嘔吐してしまうのでは・・・

 


迷ってる場合じゃないので、やるしかありません。

 

人参と苦瓜ジュース

 

人参ジュースは、有機栽培・無農薬の冷凍にした人参ジュースと

有機栽培・無農薬の人参を取り寄せて低速ジューサーで絞ったもの

2種類を用意しました。

 

冷凍の人参ジュース自体は少量です。

これは温泉後を中心に、1日3回くらいは飲んでもらいました。

しかし、それ以上は飲めなかったんです。

 

低速ジューサーで絞る人参ジュースは

1回分が人参2本(小なら3本)・リンゴ1/2

レモン1/2 と、こんな感じです。

 

生の人参にはビタミンCを破壊する

アスコルキナーゼという酵素があるので

レモン果汁を加えて

アスコルキナーゼという酵素の働きを

抑えないといけません。

 

作る順番は 

1 人参を搾ります

2 レモン果汁を加えてかき回す

3 リンゴを搾る

⇒これを使いました

 

基本的に朝食と夕食は人参ジュースです。

本当は温泉に行くなり、自宅で2~3回入浴して

体の水分を飛ばせば1日に1リットル飲めたはず。

 

3月は固形物を少量でも3食ちゃんと食べられたし

温泉にも行けていただけに・・・普段から

あまり水分を摂る方ではなかったんです。

4月も1週間過ぎたあたりから腹水による圧迫の影響で

人参ジュースさえコップ半分も飲めないようになってしまいました。

 

苦瓜(ゴーヤ)ジュースは、種ごと乾燥させて粉砕した粉末を

アルカリイオン水で溶かしました。

アルカリイオン水を使った理由ですが

癌細胞はアルカリに弱いので。

不思議と苦瓜ジュースだけは嘔吐することなく

コップ一杯飲み切ってくれていました。

 

ちなみに、あなたは知っているかもしれませんが

ゴーヤにはビタミンCが豊富で

ゴーヤ1本当たりのビタミンC含有量は

トマトの約5倍、レモン1個の果汁よりも多いんです。

 

そしてゴーヤに含まれる栄養素は

癌を発生させる細胞を90%以上も死滅させる研究結果もあります。

 

苦瓜(ゴーヤ)ジュースは、水200CCに苦瓜の粉末を10~15g使用しました。

5%の希釈で十分だというので。

 

重曹を煮詰める

4月も10日を過ぎると、ジュースさえ満足に飲めなくなりました。

この辺りから、母は寝たきりとなり

薬が切れそうになったので私が内科医院に薬を取りに行くことになりました。

 

そこで先生から水分が不足しないようにとの指示を受けます。

私も特に4月に入ってからの水分摂取量がかなり減っていることに気づいたので

飲むように促していたのですが・・・

 

母は寝たきりとなり、母が弱っていくのが顕著になったので

何かないかと調べると、カナダの民間療法で

重曹にメープルシロップを混ぜて煮詰めたものがあると知りました。

 

ブドウ糖は癌のエサなので一瞬「え?」っと思いました。

断糖した状態なのでメープルシロップに癌細胞は飛びついてきます。

しかし、メープルシロップ(ブドウ糖)に食いつくと煮詰めた重曹も一緒に摂ることになります。

 

癌細胞は酸性で活動が活発になり

アルカリ性の環境では死滅していきます。

 

煮詰めた重曹は強アルカリになります。

つまり癌細胞を騙す訳です。しかも甘いので

必然的に水を多く飲ませることにもなります。

作り方は、いたってシンプル。

 

まず、スーパーに行って【食用の重曹】(ケーキの材料が置いてあるコーナーにあるはず)と【メープルシロップ】(グレードB以上がいいらしい)を購入。

 

1 これを メープルシロップ:重曹=3:1 の割合で鍋に入れます。私の母の場合は1週間で食べきれると思われる量(個人差ありますよ?)メープルシロップ:重曹=90g:30g にしました。

 

2 それを湯煎します。時間は5~10分。かなり膨張するので、鍋は少し大きめがベスト。

 

3 1日の摂取量ですが、初日はティースプーン1杯。2日目は2杯。それ以降は2~3杯といった感じでした。

 

分離するので、食べるたびによく混ぜます。

 

実はカナダのサイトを自分で翻訳したもので(多分これでいいと思うけど)後程YouTubeにも似たコンテンツを見つけたので、そちらも少々参考にさせていただきました。

 

 

飲み始めて1週間くらいは、狙い通りだったのですが・・・

その後は「甘くて嫌だ」と言ったり、嘔吐したり・・・

癌による痛みはないらしいのですが、水しか飲めない状況が続いたせいで衰弱が目立ちました。それならば!と・・・

無味無臭のミネラル

水しか飲めない。無味無臭でないとダメ。

衰弱が目立ち時間もない。迷うことなく無味無臭のビタメンやミネラル(共に粉末)を急いで購入し

アルカリイオン水に混ぜて飲ませました。

 

その頃、介護施設に連絡して訪問入浴を利用しています。

腹水が溜まって動けなくなり、自力で排泄できなかったので

ポータブルトイレを購入。しかし、この2日後はもう呼びかけにも反応が悪く、流石に覚悟せざるを得ない状況に・・・

 

午前5時半に救急車で総合病院に向かうのですが、医師からは「覚悟して下さい」と・・・

 

癌は神様の贈り物

 

癌になる人には特徴があるといいます。

 

・頑張り屋さん ・頑固 ・完璧主義者 
・我が強い ・競争マインドの持ち主

・愚痴や泣き言の多い人 ・悪口や陰口をよく言う
・心配性 ・ストレスをため込む人

などなど・・・

 

 

病気は内側から来ます。ウイルスが来ても免疫力が高ければ大事には至りません。

人にとって内側とは心であり、心をコントロールするのは【思考】です。

 

母は外では屈託なく笑ってばかりだったので

そこしか見ていない方にとっては信じてもらえないことですが

 

前にも書いた通り、母は昔から愚痴や泣き言が多かったのです。

 

自ら行動することもほとんどありません。

何かをする・変えるというときは

やらない理由、例えば「失敗したらどうしよう」

といったことなどを並べてしまうのです。

 

嫌なら嫌だと自己主張することも、ほとんどありません。

 

「私が我慢すればいいんだ」という考えを最後まで変えませんでした。

 

こんな言い方はあなたに大変失礼なのかもしれませんが

我が家の家庭環境は普通の家庭で育った方には想像を絶するものがあります。

 

本当に筆舌に尽くせないものがあります。

 

母は「こんな家には行きたくない」と思っていたのですが

周囲のごり押しで嫁いできたと母から聞いてます。

 

母は自分を大切にしなかったのです。

もともと悲観的に物事を捉える人に過剰なストレスをかけ続けると

辛い結末しか待っていません。

 

 

「母さん、逃げていいんだよ?」

この言葉を、何回母に対して言ったことか・・・

 

 

こんなことを言うと、あなたは眉をひそめるかも知れません。

それでも、私はこれが真実であると確信しています。

これが今世における母の学びであると。その学びを通して魂は成長していきます。

 

 

神様は母が間違いに気づいてもらえるように【癌】を与えたんじゃないかと思うのです。

 

きっと神様は母に「愚痴や泣き言をやめて、行動しなさい」と言っているのだと。そして行動すべき環境を与えたのだと。

 

母の魂を向上させるために。

 

その母も癌の告知から1か月半後の5月1日に亡くなりました。

膵癌ステージ4は厳しすぎました。

 

柳緑花紅真面目

 

母はお腹を痛めて産んでくれました。

私は1歳くらいまで、夕方になる度に40度くらいの熱を出して救急車で運ばれたそうです。

 

そして母は、いつも付き添ってくれたそうです。

離乳食もたくさん作ってくれました。

学生時代は毎日お弁当を作ってくれました。

 

小学生のころ、毎日夜遅くまで内職をしていた姿が忘れられません。

 

当たり前と思っていたことを「ありがたい」と思えるようになるまでに

 

人によっては多くの時間が、人によっては大きな代償が必要になります。

 

 

人生とは時間であり、終わりを受け入れることでもあると、改めて感じます

 

 

私は輪廻を信じています。母に対して孝を尽くせなかった。その分も来世で!と思っています。だって、与えたものが返ってくるんですよ?私は母から与えられっぱなしです。

 

 

母は花が大好きでした。向こうでは散ることがないので、飽きることなく愛でている気がします。

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